おはようございます。
2013年春先から2015年初夏にかけての約2年間、仕事で大阪に住んでいました。その時感じた色々な事を書いてみたいなーと前々から思っていたのですが、まずはそれまでの自分の大阪(関西)歴をたどってみたいと思います。
なお、「関西」という表現に対してはしばし怒られた事がある(特に京都・神戸の方に)のですが、都度詳細に書くのはちと難しく、しばしまとめさせていただきますが何卒ご容赦ください。
幼少期
私は母が大阪出身で、小学生の時祖父が亡くなるまでは母実家も大阪でした。
母が里帰り出産したので私も生まれは大阪です。ただ、1、2ヶ月でまた元いた関東圏に戻ってたので、「出身は?」と聞かれるといつも困っていました。。これは、その後転勤が中学生の時東京の西の田舎に落ち着くまであちこち行ってたせいもあるのですが。
出身は? に対しては「大阪」というと、
「え? 関西弁出ないね」という感じになって面倒なので、今では
「一応、東京」と答えるようにしています。
小学生になるまでは、だいたい夏休みや冬休みは大阪(豊中市)の「千里のおじいちゃん・おばあちゃん」家と父実家@九州を行ったり来たり、でした。夏場は琵琶湖で泳いだなぁ。
そんな頃の写真。
なにこのポーズ。そしてここどこ・・・。
ナイトスクープに聞いたら分かるかな。
なお、私の母は「ボケ」とか「ツッコミ」といった要素が全然なく、「激しい天然ボケ」とでも言うような人です。なので、「関西人はツッコミがうまい」と言うのは大学に入って親類以外の関西出身者に会うまでは
都市伝説
だと思っていました。。
高校時代
高3の時ダウンタウンの大ファンになり、毎日のように録画した番組を観ていました。ごっつええ感じ、ガキの使い、HEY!HEY!HEY!、ダウンタウン・デラックス、発明将軍ダウンタウン、、等等。「HEY!~」がきっかけで好きになったミュージシャンのライブに行ったり。
母には「あんな下品なのが関西ではない」と真面目に怒られ、「ただの下品ではない。優れた人間観察である」的にこれまた真面目に怒り返していました。
だからという訳ではないですが、大学受験では当初京大を受けようとしていました。憧れの地京都に行きたい&一人暮らしをしたい、という浮かれた理由で。勿論母は激怒し、猛反対されたのでこの願望はかないませんでした。
そんな頃を思い出した記事
www.tonarinotororodesu.tokyo
ま、受けてても受かってたとは限らん。
将来息子が京都に行きたいと行ったら行かせてあげたいなぁと今では思っているのですが、その時になったら寂しくなって私も猛反対するのかなぁ。ま、そんな頭と希望とお金があればの話です。
浪人してさすがに反省してTVは観なくなり、大学入ってからは部活に熱中してあまり家にいなくてTVも観ず・・・でダウンタウンも観なくなりました。2006年にM-1でチュートリアルが優勝しているのを観てまたお笑いにはまりだすのですが、それはまた別の話。
大学時代
大学入ると、関西出身の人が沢山いました。
入学して早々の新歓か何かでその中の1人に
「東京のやつらは全然おもろくない」と主張されて、
だったら来んな
あと君自身は別に面白くない。声がでかいだけ
・・・と心の中で思う、という事件がありました。その事件の後しばらく関西に対し負のイメージを持ってしまいましたが、部活の中で楽しい先輩後輩に沢山会って、ほどなくして負のイメージは払拭されたのでした。
あの彼(顔も名前も覚えてない)も、いきがってみたかったのかなぁ。
と、前置きが長くなりましたので続きは次回に。