おはようございます。
以前、あるブロガーさんの記事でレコメンドいただいた小説を先日読みました。
(※リンクを添付していましたが、その後ブログが閉鎖されたのでリンク削除しました。)
その小説とはこちら。
1978年初版発行との事ですが(夫と同い年だ・・・)、ぐいぐい引きこまれてあっという間に読み終わってしまいました。とりとめないですが思うところが色々あったので、書き留めてみたいと思います。
※以下、ネタばれを大いに含みます。
簡単なあらすじ紹介
IQは高いがうだつの上がらない主人公・秋雄は、
「子どもを東大文一に入れる」事を人生の至上目標としている女性・千枝とお見合いで出会い、結婚。彼女に導かれるまま息子を東大文一に入れるべく奮起する事に。
千枝の東大構想は徹底したもので、結婚相手の条件、男の子を生む為の食などの生活、産んでから聞かせる音楽・雑音が聞こえないようにする為のリフォーム・・・などというのは序の口。
夢をかなえるその日まで、節約の為化粧はしない。ある時からは願掛けの為お茶すら断つ。予定外に生まれた年子の次男に対しては「長男の教育で精いっぱい」といってほぼ放置。
息子の生活や勉強計画は徹底管理。小学校での授業は息抜きの場、学校の掃除はムダな事だから必要最低限にと指導する程。息子は親の望みのまま必死で勉強し、ついに超有名中学に合格するまでになるが・・・。
ざくっとした感想
なぜ千枝がそこまでして「息子を東大文一に」とこだわるかというと、彼女の父の学歴が低く、それ故不遇の子ども時代を過ごしたから(それ故、と言い切れない気がするけど彼女の主観としてはそう)。
「東大文一に入れば後はどんな進路でも進める。最高の自由が手に入れられる」というのが彼女の信念。医者や理工系には行き難いのでは・・・と茶々を入れたくなってしまったけど、彼女にとっては細かい事抜きに全て凌駕した象徴的存在が文一という事らしい。
ストーリーを進める為の設定といえばそれまでだけど、その思考はおそらく著者が当時批判していた勝手な親の有様を集約したものなのだろう、と思われる。
もし近年の小説だったらもう少し母親(千枝)に対して優しさがあったかも知れないけど、そこは1970年代、作者の書きっぷりも容赦なし。
(余談ですが、この小説を執筆するにあたり著者は100冊くらい関連文献を読んだとの事。すごい・・・。)
読めば読む程感じるのは、
・子どもは子ども、親は親。親は自分の人生を楽しめばいい。
・子どもによって自分の価値を高めようとしてはいけない。
という事。
読み進めるにつれ、母親(千枝)と、やはりコンプレックス故に妻に言われるがままの父親(秋雄)に対して批判的な思いが沸々と湧いてくるけれど。
自分自身の中にそういう芽は無い?自分は大丈夫って思ってない?という問いかけを持っていないといけないのだな、と思わされたのでした。
もひとつ余談ですが、
言葉遣いの丁寧さ、「男の子を絶対産む」と必死になったり「タバコを家や会社で普通に吸う」あたりは時代を感じました。
男の子云々は今でもあるのかなぁ。タバコは今時だったら「脳に悪いから絶対厳禁!」にするんだろうなー。
自分の場合
読み進めつつ、自分が東大志望するにあたって親に受けろとか言われたかなぁ・・・となんとなく振り返ったのですが。
うーん。
・・・何も言われた覚えがない・・・。
子どもの頃まで遡ると、勉強が好きになるように父にうまい事導いてもらったのかな?と思われる節はあるのですが。
高校についても大学についても進路に関して親に意見されたり親の意見を聞いたりって無かった気がします。家から通って、くらい。勿論応援はしてくれたけど。
※素直ないい子だった訳ではなく、「やれ」と言われたらやりたがらなかった。。
母が働いていてしかも他に手のかかるきょうだいがいたので、いい意味でほっておいてもらえたのかも。塾とか予備校とか行かせてもらって家事も免除してもらって「ほっておいた」とか言ったら申し訳ないか。
就職しやすいように、いい大学行くか専門的スキルを身に着けられれば・・・はあったけど、ピンポイントで「東大」は全然無かったと思う。
ではなぜ東大行きたいと思ったかというと「同級生を見返してやる」的な(具体的に誰、とかはない)妄想的なドロドロとした怨念があったから。。
「入ったらきっとハッピー」って考えてた点では千枝さんに通じるところがあるのかなぁ。
「では結局のところ東大入って良かったことってなんだろう?」とあれこれ考え始めたのですが、長くなりそうなのでそれはいつか別記事に。
まーなんにせよ、千枝さんには悪いけど親がコントロールして意中の大学行かせるのは至難の業だし、それで入っても最高の自由を手に入れられる訳でも無いよね、というところです。