品川で子育てしているSEのゆるゆる芋づる式日記

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私の受験の思い出②大学受験(東大の志望動機、センターの点数、二次の結果)

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おはようございます。

前回に続き受験の話、今回は大学受験編です。

これまた以前書いた事あるのですが改めてノールック書き直し投稿です。

我が家のメンバー紹介

・長男たろう 3歳、保育園児。イケメン系。
・次男じろう 0歳10か月。可愛い系。
・三太(夫) アラフォー会社員。がっつり工学系。
・とろろ(私) アラフォー会社員(育休中)。文系。

志望動機

私が東大を受けようと思ったのはそろそろ受験を考え始める高2の時だったと思います。

志望動機は、
1. 「そこが一番高い山だったから」
少年ジャンプ発想再び(前回参照)。

2. 同級生を見返したかったから
だいぶ被害妄想ですが、自分がダサすぎてバカにされていると思い込み、見返すには東大に受かるしかない!みたいに思ってました。書いてて恥ずかしい。。

3. いけそうな気がしたから
天津的な。
周りで受ける人が多かった。プラス、後述しますが実は両親が東大を出ていたので、自分もやればできるのかなぁという気になりました。

思うに環境的な要因が大きい気がします。

ちなみに浪人した直後は「せっかくなら憧れの京都に住みたい」と思って京大を志望したのですが、親に「そんな浮かれた理由では家から出る事を認めん!」と激怒されてポシャリました。

学部選考の理由

目指したのは文科一類(法学部に進学しやすい)でした。

ここに行きつくまで、長い?道のりがありました。

1. 小学生の時はブラックジャックを読んで医者になりたいと思っていた。

2. 中学生の時、手先が不器用&理科が苦手で医者は諦めた。

3. 高校生の時、物理が苦手・数3以降の数学が苦手で自分に理系は無理だと諦めた(国語・英語・世界史が好きだったという前向きな理由もありつつ)。

4. では文系の中で考えると、「社会について知りたい」とおぼろげに思う中、「文学部」系より「法学」「経済」の方が「形」があって自分にはしっくり来るように感じた。

5. 数学が苦手なので経済は入ってからついてけない、と思った。

6. よって法学部

という流れでした。

今思えば割と短絡思考というかリサーチが甘いというか・・・。

先々「何になりたい」というものはあまりなくて、「大学入って勉強しながら考えればいいや」と思っていました。

同級生は弁護士や官僚になりたくて、という人が多かったと思います。

当時の受験の流れと受験科目

当時の国立大受験の流れ

1月下旬 一次試験=センター試験
(私大受験)
2月下旬 二次試験(前期)
3/10 前期合格発表
3/13 二次試験(後期)
3/23(だったかな) 後期合格発表 

という流れだったと思います。二次試験は前期・後期とあり、後期は前期と別の大学を受ける事もできました。後期は前期落ちの場合のみ受験可能。

※東大では2016年に「後期」試験は廃止されたとの事。知らなんだ。
東大入試の仕組み | 東京大学入試情報2019 | 東大塾 | 河合塾

試験科目

・センター・・・英語・数学(2科目)・国語・社会(世界史と政治経済を選択)・理科(化学を選択)

・二次(前期)・・・英語・数学・国語・社会(世界史と地理を選択)

・二次(後期)・・・論文(日本語の文を読んで日本語で)・論文(英文を読んで日本語で)

我ながら、よー勉強しました。。

センターで政経を受けているのは後期試験の前提で必要だった為でした。前期の方が合格者数は多くもちろん前期狙いでしたが、落ちた場合に備えて受けるだけ受けるという感じでした。受けてる人が少なくて、部屋がガランとしてたのを今でも覚えております。

勉強について

現役の時はZ会に通っていました。ただ、学校の勉強との両立がうまくできず、最終的に夜中徹夜で勉強→授業中は寝る、みたいな生活を送ってました。なんかダメな感じ。

高3の頃ダウンタウン大好きでTV観まくったりして、当然というか現役の時は落ちました。

浪人して御茶ノ水駿台に通い始め、さすがにこれではいかんとTVは一切断ち、猛勉強しました。本当に異常に勉強してた気がする。

スマホどころかケータイもまだ一般的ではない時代

毎日不安だったけど、勉強自体は楽しかったです。

特に、高校受験の時は「分からないまま」にしていた数学や社会(世界史)、そして「分かったつもり」だった英語を勉強し直して「こういう事か!」という瞬間が沢山あったのが本当によかった。

予備校の授業は当然だけど大学受験に直結していたので、高校生の頃のように「学校の勉強」と「受験勉強」両方やらなきゃみたいな事もなく、私にとってはシンプルでよかったです。

当時の勉強方法

20年以上も前のお話で今の受験生の参考にはとてもならないと思います。昔ばなしまでに。

全教科通じて基本の流れは、
1. 基礎を勉強し、自分なりに(手を動かしながら)理解する
2. 問題を解く
3. 分からなかったところをきちんと理解する
4. 間違えたものをもう1度解く
というものでした。

過去問を実際と同じ時間で解く事が大事だったと思います。

過去問を解く事で相手のレベルと自分の実力がきっちり分かり、プラス模試で相対的な順位もチェック。

今書いてて思いますが、これって昔ながらの受験には合いそうですが、今はより「自分の考えを論理的にまとめ、表現する」とか「ディスカッション」できる力が求められているのでしょうか。

今の学校の授業ってどんななのか、逆に気になる今日この頃です。

実はさらに各教科の勉強方法もまとめかけたのですが、長くなったのと当時の駿台の先生をネットで調べてみたら面白くなってきたので後日に回す事にして、さくっと結果に飛びます(^^;)

結果

センターの点数

前期の一次にあたる分の点数は、以下でした。

国語 200
英語 198
数学 約160
世界史 100
化学 約90
計 751/800

これと、後期用に受けた政治経済 75くらい?だったような。

こんな大昔の点数覚えているあたり、こじらせ感。駿台の英語の先生が、「センターの直前はセンターを必死で頑張りなさい」とおっしゃっていて、言われた通り必死でやった記憶があります。

今やったらこの1割もいかないですね。

二次の結果

既に東大出てると自己紹介に書いてるのですが、実は、そんなに猛勉強してて「前期試験」は落ちてしまいました・・・。

夏休みに古本屋で買ったろくでなしブルースをつい読んでしまったのがまずかったか!

センターは良かったし、模試も大丈夫そうだったし絶対受かると思っていました。

今でも合格発表の日の風景は忘れられません。自分の前後の人は受かっていた事も覚えています。

死にたくなりました。

が、その3日後にはまだ後期試験がありました。幸か不幸か後期の受験資格はゲットしてたので、3日間死に物狂いで心を無にして後期の勉強をしました。終わってからは毎日辛くて泣きながら過ごしていました。

後期試験は超絶苦手な論文の試験。合格者数も少ないし、何がマルなのかさっぱりわからない博打のような世界で受かっている訳がない、と。

本当にあの頃は辛くて頭がおかしくなりそうでした。

辛すぎて、後期試験の結果は見に行かず郵送の通知を申し込んでいました(この頃はインターネットでの発表はなかった)。

そして後期の発表日、郵送された封筒を開封した瞬間を今でも覚えています。

どうせ不合格でしょ、これ見たら私の「受験」もやっと終わり・・・ってあれ、受かってるやないか!!

絶叫して、母親と抱き合って号泣してしまいました。

高低差あり過ぎて、耳どころか脳が崩壊した気がします。

その10数年後婚活に苦しみながら「東大なんか行かなきゃよかった」なんて思ったりするのですが、それを聞いたらこの日の私は激怒したでしょうね。。

あの頃の事を思い出すと、自分の子にはあの思いを味わせたくないような複雑な気持ちです。

ただ、必死で勉強していた数学や世界史がダイレクトにはつながらず、なぜか論文で受かってしまった事については「まぁいいか」という感じでした。

高校受験の時は「なぜか受かったけど、ちゃんと勉強しきらなかった」という思いが強かったけど、大学受験では「なぜか(前期)落ちたけど今回は勉強しきった」という気持ちになれました。

各教科の勉強方法(ていうか駿台の先生の話)と、先ほど「後述する」と言っていた「親が東大だったら」のお話はまた後日。

ライトハウス英和辞典 第6版

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