品川で子育てしているSEのゆるゆる芋づる式日記

5歳&2歳男子育児@品川区、仕事と家庭の両立について一応東大なミーハーSEが綴るブログです

不妊治療の記録と「治療をしやすい職場」について

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おはようございます。最近不妊治療がしばし話題になっている中色々な事が思い出されたので、なんとなく自分の話を書いてみる事にしました。

今まで、もし将来息子達が私のブログに気づいた時に何か悩むかも?と思ってあまり触れてなかったのですが、昨今全く珍しい事ではなくなってきたのでまぁよいかという気持ちになってきたところです。

なお、リノベ話は勿論続けます!
なかなかブログに書けていないのですが💦最近はRoomClipにちょっとずつ投稿しています☺️
(torokoのお部屋)
roomclip.jp

我が家のメンバー紹介

・長男たろう 5歳、保育園年中組。
・次男じろう 2歳、保育園2歳クラス。
・三太(夫) アラフォー会社員。
・とろろ(私) アラフォー会社員。

治療の記録

1人目

私が結婚したのは35歳の時でした。

大学の先輩で、やはり30代半ばで結婚し不妊治療の末出産した先輩がいて、「先延ばしにしない方がいい」とずっと言われ続けていた事もあり、結婚式が終わると同時に「妊活」を開始しました。
(ほんとは式よりも妊活優先すべきかも悩みましたが、結婚式も気合入れたかった…。)

まずは何か問題ないかのチェックのつもりで不妊治療クリニックの予約をしたのですが、「年齢を考えると急いだほうがいい」と言われてすぐに通院を開始しました。

タイミング→人工授精→そろそろ体外を考えるか・・・というところで夫と相談し、クリニックを転院。

当時は大阪に住んでいて最初通っていたのは梅田にあるクリニックでしたが、神戸元町 夢クリニック」に転院する事にしました。

なぜそこかというと、先ほどのアドバイスをくれていた先輩が通っていたのが新橋の「夢クリニック」で、気になって調べたらいわゆる「成績」がよく、「自然」で身体に負担の少ない治療方針で進めている事が分かった為でした。

大阪→元町(三ノ宮)まではまぁまぁ遠かったのですが、ちょうどプロジェクトが変わって通いやすい状況になった事もあり、通い切る事ができました。

夢クリに転院して最初の検査の際に「体外だと授かりにくいので顕微授精を勧めます」と言われまして、「体外」はスキップして最初から「顕微授精」をしていました。

そちらの方が費用はかかるのですが、確率低い方にトライする方がキツイと思ったので。。

結果は、2回目の移植で長男を授かる事ができました。

・・・というとなんだかアッサリな感じですが、実は1回目の後なかなか2回目に進める事ができませんでした。

1回目の後のhCG値が僅かながらあり、化学流産に相当するので次の回はお休みで、その次の回も(6年前の事で詳細忘れてしまったのですが)お休みで。

悶々としながらやっと2回目の移植ができたものの、1か月後のhCGの値は確か10ちょっとととても低く。

先生は「0ではないからねぇ」と妙に楽観的で、「慰めはいらないよ・・・」と落ち込みました。確かお正月当日で、がっくりしながら帰省した記憶があります。

が、その後徐々にhCGの値が上がってやがて1000を超え、1個1個ステップを踏んで2月についに「卒業」する事ができました。

切迫早産になったりして大変でしたが、なんとか無事出産を迎える事ができました。

2人目

「2人欲しい」という思いは強かったので、長男が1歳過ぎた位のタイミングでまた通院する事に。

既に東京(品川)に戻っていたのですが、やはり夢クリニック系列の「KLC」に通う事にしました。(新橋の夢クリは結構スパルタだと聞いたので・・・※3年前だし通っていないので確かではないですが。)

今度は新宿で前ほど家から距離はなく、また、「17時終業」生活だったので急いでいけば平日でも受付に間に合い、そこそこ通い易かった気がします。

2人目も、やはり1回目の移植はダメで、2回目の移植で成功、出産に至る事ができました。

治療時の精神状態

1人目と2人目どっちが辛いかは人によると思いますが、私は1人目の方が圧倒的に辛かったです。

それなりに仕事は忙しかったですが、それでも夜、毎晩のように不妊治療している人のブログを読んでいました・・・。

いろんな人のブログをExcel表にして整理したり、このhCGの値でうまくいった人がいる、とかそういうのをひたすら探していました。

現在進行形の人のブログは気持ちがシンクロしてしまい読む事ができず、ある程度「結果」が分かっている人のブログを読む事が多かったです。

冷静に考えれば人によって千差万別なので、早く寝る方がよっぽど体には良かったのですが。。

授かった人のブログを読んで、「これだけ授かった人が多いのだから、きっと自分もうまくいくはずだ」と暗示をかけていました。

1人目はそんな感じで今思えばちょっと追い詰められたところがありましたが、2人目の時は、
・とにかく長男の育児に追われていて考えたり調べるヒマが無い
・長男の時イレギュラーな値でうまくいったので調べてもしょうがないと実感した
・1回うまくいってたら2回目もあるのではと楽観的に思えた

というところで、年齢が上がっているにも関わらず精神的には割と気楽にいけた気がします。

私の場合既に年齢が結構いっていたせいか、1人目の時も2人目の時も、周りに「子どもは?」と聞かれる事がなかった、のは精神的によかったなと思います。

この辺りは若い方の方が辛いだろうと思います。

ネットで不妊治療に対する批判的なコメントを読んで落ち込む事もしばしありました。

ちなみに年賀状に関しては、子どもが載っている年賀状の方が変に気を遣われていないな、良かった、と思う方でした。

このあたりはきっと人によると思います。

治療をしやすい職場とは

治療を始めた頃はちょうどかなり厳しいプロジェクトにおりまして(週に2回深夜作業+毎晩のように2時まで仕事とか・・・)、その頃は「多嚢胞性卵巣」と診断されたり、やはり卵の育ちが悪かったり、化学流産している事が分かったりと散々でした。

科学的にそれらがリンクしているかどうかは分からないのですが、その後プロジェクトが変わってそこまでのハードワークではなくなり、前よりは健康的な生活になった事はおそらくプラスに働いたのではと思います。

また、リーダー自身にお子さんが生まれたばかりで、帰りが早かったり休みもちょこちょこあったのもプラスでした(そういえば当時、「なぜ奥さん専業主婦なのに大変そうなんだろう」とか思ってました。本当に申し訳ない。自分を殴りたい。)

その方はすごく優秀な方で、それで仕事的に困る事はなかったです。むしろ効率よかった気がする。

定例会議がそんなに多くなかったので(隔週とか)、締め切りさえ守れば間のスケジュールはそれなりに融通が利いた事も好都合でした。

そんなこんなで、そこそこ遠かった割には通う事ができました。

ちなみに、2人目の時の方が早く帰れるけど会議が多いプロジェクトだったので、昼間クリニックに行かないといけないときの日程調整は大変でした。

「ここらへんで採卵ありそうだな」と思った日にはできるだけ会議を入れないとかいろいろ四苦八苦していました。

後で後悔するのは絶対に嫌だと思い、「今は治療最優先」と覚悟を決めて割り切っていました(たぶん、それで困っている人はいなかったと思う)。

色々ありましたが、不妊治療をしやすい職場とは、
リーダーが早く帰り、ほどよく休む
・不要な作業はできるだけ減らすというマインドがある
定例の会議が少な目
・メンバーに日程調整をできるだけ任せる
・できるだけ余裕をもったスケジュール

・・・といったところなのかなぁと思います。

よく「理解」というワードも出てくるのですが、正直周りにあまり言いたくなかったし、気を遣われるより、休み易い環境とかの方が現実的にありがたいと思いました。

私は1人目の時も2人目の時も、人事上の上司には「妊活している」事は言っていましたが、プロジェクトの人には言っていなかったです。

自分的には職場の同僚に告げる事は「負担」に感じており、「理解」が欲しいとは思わずでした。

おわりに

結果だけを見ると、私はとてもスムーズだった例なんだろうな、と思います。
でも、特に初回は未来が分かる訳ではないので、よく言われる「真っ暗なトンネル」の中状態でした。

お金も400万円位かかっています・・・。(今改めて数字見てずーん)

本当は3人目欲しいなと思う事はありますが、もう1度クリニックに通う事自体困難だし、もし仮に授かったとしてもその後の体力が無い。

できるだけ1人1人大事にしたいけれど、今の体力では2人が精いっぱい。

ムリはせず、自分のもとにやってきてくれた2人の為に頑張りたいと考えているところです。

私が晩産だったのは自分と縁の問題なので社会にも会社にも恨みは別にないですが、後輩たちが過ごしやすい環境にはしていきたいな、と思っています。