おはようございます。
先日の記事についてりとさんからいただいたコメントきっかけに、「何者」についてつらつらと考えました。
ぼくも2010年前後は初めての子育てで間が空いてますね…。鬼滅の話で面白かったのが、鬼殺隊のモブの皆さんが「俺たちにできるのは柱の盾になることくらいだ!」て特攻してく、多くの人は何者にもなれない現実の描写を今の子どもたちはどう受け止めるんだろう?て以前ラジオで言ってました。確かに!
— りと (@RitoJHS) 2021年12月7日
考えるうちに、元のコメントからだいぶ離れました、、というお話です(^^;)
我が家のメンバー紹介
・長男たろう 6歳、保育園年長組。
・次男じろう 3歳、保育園年少組。
・三太(夫) アラフォー会社員。
・とろろ(私) ミドフォー会社員。
「何者」ってナニモノ?
「何者」というワード、私の大学生の頃は今のような意味合いでそれほど使われていなかった気もします。
たぶんだけどここ最近聞く事が多くなった気がする・・・朝井リョウさんの小説の影響?
すみませんが私は未読です。といっても「何者かになりたい」という願望自体は普遍的なもので、ずっと昔から、特に若者にはあっただろうと思います。
「何者かになりたい」という時の「何者」ってどの位のイメージなんでしょうか。
100年後に偉人として伝記になるとかオリンピック金メダリスト・・・ってとこまではないけど「それなり」な何か。
特に「こうである!」という定義は無いと思いますが、ある程度の地位・名声を得た人、くらいな感じなのかなと思います。
もう少し細かくイメージをしてみると、
・その界隈の中で敬意をもって認められている人
・雑誌に載ったり本を出している人
・Wikipediaにその人の項目がある人
・Twitterでつぶやくたびに1万「いいね!」がつく人
・有名な会社でそこそこの地位にいる人
・「日経○○フォーラム」などでろくろを回して話す人
・医師や弁護士、大学の先生
等等が思い浮かんできました。
※あくまで私のイメージです。
私は「何者」かになれたのか
結論言うと、「『何者』の捉え方にもよるけど特になっていない」だと思います。
有名な大学出たとかある程度大きい会社にいるならOK、くらいのハードルであれば「何者」入りかもですが、一般的には違うと思います。
ろくろを回す事もなく、世界の片隅で地味にキーボードをたたいてます。
変わってきた感覚
就職した当時は、それまで勉強してきたのとはだいぶ違う分野だけど、頑張ればそれなりに偉くなれるかな?と思っていなくもなかったのです。
それが、働いているうちにその時その時の仕事に必死で、「偉くなりたい」という意識は遠のいていった気がします。
その時その時のやるべき事をきちんとやれているか。
ベストを尽くせているか。
後で後悔しないか。
そういった事が中心になっていきました。
そしてもう一つ、この複雑にこんがらがった社会の組織の中で頑張るサラリーマンやってると、月並みですが世の中は多くの人の働きで成り立っている、という事に気づくようになります。
私の場合はいわゆるITインフラ屋さんですが、世の中の会社の数だけ(それ以上に)ITシステムというものは存在していて、そのシステムを動かしているのは最終的には「人」。
会社に入って優秀なリーダーの方を沢山見て来たけど、皆がろくろを回している訳ではない。
リーダーだけでも仕事は回らず、ワーカーの仕事に支えられている。
ITに限らずどの業界もそんな支えの連続で、最終的に世の中が成り立っている。
・・・という事を実感として感じるようになって、要は「何者」とかあまり考えなくなりました。
大学の同級生が○○省の△部長として大きいセミナーに登壇しているのをオーディエンスとして観た時はさすがに一瞬しょんぼりしたけど、自分は自分だなと思いました。
自分が本当に成し遂げたい事
ってなんだろう、って時折悩みます。
「これなんか意味あるのかな」と思う仕事をせざるを得ない時もあるし。
たぶん、何か成し遂げるというより、「あの時ああすればよかった」ができるだけ無いようにその時どきの最善を尽くせたらいいな。
そしていつかタイミングが来たら次に繋げればいい。
今はそんな風に思います。10年後はどうかなぁ。
おまけ:これまでの「なりたいなぁたりないなぁ」記録
今回、振り返るとこれまで「なりたい」→「なれない」の繰り返しだったなー、と色々思い出したので、この際書き出してみました。
・小学生の頃ブラックジャックを読んで「医者になりたい」と思ったが(さらに海外青年協力隊に入って沢山の人を救いたいとも)、中学に入って「理科」が他の科目と比べて苦手である事、手先がかなり不器用である事から「自分が医者になってもきっと迷惑ばかりかけてしまう」と消去。
・高校生の頃「ものづくり」で世界を変える人に憧れるも、物理苦手・数3はできる気がしない。一方所謂文系科目(国語・世界史・英語)が大好きで、自然と文系クラスに(数学は基本好きだったけど、ある程度以上は理解できないと感じていた)。
・大学に入って、「社会のインフラ作り」に憧れ公務員を目指すも玉砕。なんとかして「ITインフラを作る会社」に就職。
公務員落ちた事は今となっては「しかたない」と思えますが、当時はかなり辛くて、入社1年目の時何かの用事で霞が関界隈を歩いた時動悸が激しくなってしゃがみこんでしまったのを覚えています・・・。
今振り返るとツッコミどころも多くて、若さ故の視野の狭さをヒシヒシと感じます💦
そういえば中高生の頃は声優さんにも憧れていて、高校の時友人と某声優スクールを見学に行った事もありました(彼女はその後東大行って、今は演奏家と会社員の2足のわらじを履いている)。
「やりたい」事と「自分が得意な事・感覚的に好きな事」をマッチさせるのは本当に難しくて、何が自分の神様?から与えられた責務なのか、それが分かるのはいつか終わる時なのかその時も結局分からないのか。
そんな事を、とりとめなく思う日々です。
(私にとって永遠に主人公なお2人。)
おわり
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