おはようございます。
受験の思い出シリーズの締めくくりは親が東大出身だった為どんな影響があったか、というお話をしてみたいと思います。
この件は今まで特に書いてなかったのですが、自分語りをしてたら色々思いが浮かび、この際書いてみようかと思った次第です。
書き始めの時はこんなに引っ張ると思っていませんでした・・・💦
我が家のメンバー紹介
・長男たろう 3歳、保育園児。まずはトイトレ。
・次男じろう 0歳10か月。まずは卒乳。
・三太(夫) アラフォー会社員。
・とろろ(私) アラフォー会社員(育休中)。
プチファミリーヒストリー
父の話
私の父は福岡県のやや田舎の出身でした。父の父は、父が小さい頃から朝5時に起きて漢字の書き取り練習をさせていたりと猛烈なスパルタ教育を行っていたそうです。
高校はちょっと離れたところにある県立高に越境入学。生徒会長を務めていたそうな。期待を一身に背負い東大に現役で合格・入学、今は無き駒場寮で青春を送っていたそうです。
こう書くと超真面目でお堅い感じに見えそうですが、私が覚えている限り、父はとても茶目っ気がある人でした。新人研修の担当を長くしていたそうですが、「先生はいつもダジャレを言っていた(苦笑)」とよく言われていました。
また、漫画も本も好きでよく読んでいました。
気分屋な面もあり、また、母に言わせると「モノを捨てられない人」。引っ越しのたびに父の荷物の量に母激怒、を繰り返していたそうです。
そんな母も私から見たら十分「モノを捨てられない人」なので、その母にここまで言われるのはどんだけ?という感じ。
ちなみにうちの両親の夫婦喧嘩のきっかけNO.1は「禁煙しろ」「うるさい」だった気がします。
男性の喫煙率が高い時代の事で父もご多分に漏れずでしたが、たびたび禁煙しようとしてはすぐに心折れてしまっていたようでした。
父がやっとタバコを止めたのは私が中学生の時、病気になってからの事でした。「さすがにやめたんだな」と思いましたがその後まもなくがんで亡くなりました(肺がんではなく、胃がんでした)。
そんな事もあり、タバコに対して過敏になってしまった気がします。
母の話
母は大阪府の出身で、割とのびのびと育ったようです。母の父は私が小学生の時になくなりましたが、知的で穏やかな印象の人でした(京大を出ていて、私の京大に対する好イメージと憧れは祖父から始まったような気がします)。
母の母はスーパー専業主婦という感じ。曰く元は武家の出なんだそうで、リアルに「武士の娘」と言ってました。
母実家は千里にあって、NHKの朝ドラ「まんぷく」に出て来た自宅とちょっと雰囲気が似ていて懐かしい感じです。
なお、母は大阪の人と言ってもツッコミをする事はまるでなく(むしろかなり「天然」)、高校生の時ダウンタウンの番組を観るまで「大阪の人はボケ・ツッコミがうまい」というのは都市伝説だと思っていました。ダウンタウンは尼崎出身ですが細かい事は気にしない。
そんな母がどういった経緯で東大を目指したのかはよく考えると不明でした。。母の母に「東大なんかに行ったらお嫁にいけない!」と泣かれつつ強情に受けて受かったそうです。
私には家を出るのは許さんと怒ったくせに自分は家出てるじゃん!と社会人になってから気づきましたが、本気度が足らんわ!って事なんですかね。。
当時は大学紛争があり大変だったそうですが(雑)、父と母は就職先で知り合って結婚し、それを機に母は退職・専業主婦になりました。
母方の祖父が亡くなった後祖母が私達一家と同居する事になり、それがきっかけで私が中学に上がる頃千葉から東京の西の田舎に引っ越す事になりました。
ところがそれから間もなく父が亡くなり、母は資格を活かして再就職する事になりました。もともと「そろそろ再就職しようか」と思っていたようですがこんな形になる事はもちろん考えてもいなかったと思います。
育児家事仕事を猛烈にこなしながら生きてきた母は、現在も働きつつ、大好きな夢二の絵を家に飾ったりフィギュアスケートや宝塚を観に行く生活を送っています。
本題から逸れて思い出話になってしまいました。。
いつ頃知るか
前置き?が長くなりましたが、両親の出身大学を知ったのは小学生の高学年位だったと思います。かなり朧げな記憶。
もっと小さい頃は、「お父さんはイモ田大、お母さんはカボチャ大の出身だよ」と言われていました。我々も使わせてもらおう。小さい頃なんて、そもそも「大学」の意味分かってなかったですね(^^;)
どんな影響があったか
「東大だから」というより、父母がそういうキャラクター故かなぁと思う事を挙げてみます。
・とにかく本が多かった。
小さい頃から絵本・童話・学研のひみつシリーズ・「野口英世」「エジソン」などの偉人の本、とにかく沢山ありました。あと美味しんぼ。
親戚や知り合いからのもらいものが殆どだったようで、必ずしも教育熱心故ではない気もしますが。
小さい頃はそんな本をよく読んでもらいました。小学生に上がってからは自分で読むようになり、小4くらいから毎日図書館に通うようになりました。友達は、いましたよ。。
・教え好き
父は教えるのが好きで、教え上手でもありました。
なぜ3の倍数の各桁の数字を足すと3の倍数になるのか?とか。
小学校にあがる前から毎日ひらがなや漢字の書き取りをするように言われたり。言われる、というか乗せられていつの間にかやるようになっていました。
春休み前にドサっと算数のドリルを渡されて「できるよね?」と言われて「できるよ!」と言って全部やった思い出もあります。とにかく昔から乗せられやすかったんだな。。
なお、母は本人は勉強得意だけど教えるのはそんなに上手ではなかったです。。
・何も言われない
親は私達きょうだいに「東大に入れ」的な事を言った事は全くなかったです。
「入って総理大臣になれぇぇ!」by吉田鋼太郎 的な事もない。
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やりたい方向に向けて全力で応援するけど、無理にああしろこうしろというのは無かった気がします。
私が単純で「北風より太陽」作戦で乗せやすかったせいか、「勉強しろ」も言われなかった気が。「ピアノの練習しろ」はめっちゃ言われた。サボってばかりでした。。
・母にはあまり褒められなかった?
勉強を頑張って仮によい成績をとっても母に褒められた記憶があまりなく・・・。かなり不満に思ってました。
近年そういう事を言うと「そうだった?結構褒めたつもりだったんだけど」と言われます。謎だ。
・「女の子だから」と言われなかった
私位の年代だとそういう家庭はまだまだあったので、本当に良かったです。父の出身は割と男尊女卑が強かったようですが、父自身は「女の子だから勉強ができなくていい」的発想は全然なかったと思います。
・「ご両親が優秀だから」と言われてムッとする
大学に入ってから、親の知り合いとかに「やっぱりご両親が優秀だから」と言われてムっとした事がしばし。私結構頑張ったんですけどぉ、と内心思ってしまいました。
「跡を継ぐのかしら」なんて言われたり・・・サラリーマン家庭だったんですが。。
プレッシャー?
とはいえ、両親の出身を意識しなかった訳ではありません。むしろ意識しまくりでした。
親の影響で東大目指した訳ではないけれど(むしろ同じ職業にはつかない!と思っていた)、親が東大出てるなら自分も行ける遺伝子は持っているはず。それで行けなかったら自分の努力が足りない、自分がダメって事だ・・・と、かなり思い詰めてしまっていました。
その考えはどうかと本当に思うのですが。裏を返せば親ができなかった事はできなくてしょうがない、って感じだし。遺伝子云々て、例えば毒親で苦しんでいた人をさらに苦しめる考え方だとも思います。
思うに、親から多少先天的にもらう事はあるだろうけど、それ以上にこれまでの何億という人の遺伝子が複雑に絡み合って自分はできていて、親のものはその一部。そして後天的に変わる部分はいくらでもある。
なので、親のいいところはいいところとして、親にあまりとらわれる必要も無いだろうと思います。今となっては。
ただ、私の場合は遺伝云々というより勉強の為にお金を出してくれたり浪人もさせてくれたり勉強が好きになるよう乗せたり環境を整えてくれた、というそういう意味で結局「親のおかげで東大に行けた」と思います。
息子たちに対して
いずれ、何らかの形で知る事になるんだろうなー、と思います。
私はできれば親と違ってもっとモテる人生を歩んで欲しいと思っているのですが。。
こういう風にはならんかと(^^;)
月並みですが、親がしてくれたように支援は頑張るけど、親に縛られず己の道を歩んで欲しいなと思います。
と言いつつ「俺はミュージシャンになる!」って言われたらどうしよう。サラリーマンやりつつ副業じゃダメ?って聞いちゃいそう。